百のやりたいことを達成していくブログ

百志(モモシ)

召喚士ヌヌザックと詩人ポキールのやり取りをノートに書き出した

自分の生い立ちについて考えると、いつも胸が締め付けられるような感覚がある。俺の幼少期では辛い出来事が多かった。俺の青年期でも辛い出来事が多かった。兎に角、「家族」「血縁」「親族」というものに関してろくな出来事がない。今日は2019年12月23日(月)。もうそろそろで正月を迎える。近づいて欲しくない人たちが俺に結びついてこようとすると思うと、また胸が苦しくなる。といってもまあ、大分彼らとの距離の取り方は分かってきたのだが。自分の生い立ちについて嫌なことが多かったから、それについて考えると負の感情が立ち込めてくるのは当然のことなのだが、その負の感情についてふと想起することがある。以前プレイしたゲーム『聖剣伝説 聖剣伝説 LEGEND OF MANA』のワンシーンの中で、召喚士ヌヌザックに詩人ポキールが言い放ったセリフだ。「君は世界に悪が満ちていることを信じようとしている」みたいなセリフだったと思うのだが、どうにも正確に思い出せない。前々から気になっていたセリフというか会話のやり取りだったので、今日は時間もあったということもあり、ノートに書き出してみた。ググってみると同じようなところに注目していた人がこの世にはいたようで、かつブログにその会話を書き落としてくれていた。参考にしたのは、外部サイト『聖剣伝説LOMのあれこれ「英雄」について: 世界の果てから君へ』だ。以下に書くゲーム内の表現は外部サイトおよびゲーム内より引用・参考にしたものとする。

「やあ、ヌヌザック、久しぶりだね。」

「あなたは、ポキール殿!?」

「草人は旅立つ時がきた。行かせてやってくれないか?」

「ポキール殿、賢人はそんなにも争いがお好きなのか?
甦ったマナの木を争って、また多くの血が流されることを
お望みになるのですか?
マナの木なしでも、こうして生きてこれました。
力は災いの元です。
賢人のご忠告とはいえ、聞くわけにはまいりませぬ。」

「マナの木が無くても人は生きていける。
だが、マナの木があれば、人はもっと豊かになる。
人は誰も愛していなくても生きていける。
けれど、愛すれば豊かになる。
これは、同じことなんだ。ヌヌザック。」

「しかし、誰より豊かになりたいと思うものは、人を傷つけ、その人の物を奪うでしょう。
心の平穏とは、何も望まぬことにあると信じます。
マナの木は、無用のものです。
今、この世界にある物だけで、人の生きてゆく糧は、充分足りております。」

「ヌヌザック、話がズレてるよ。
今キミが見ている世界は、宇宙のほんの一部なんだ。
マナの木は無限の力の源。
だけどその力は、本来は人の中にあるものなんだ。
力は常に自分自身の中にある。
マナの木に触れることで自分の本質に気が付くだけなんだ。
人に足りないものは、生きていく糧なんかじゃない。
愛するということさ。」

「愛するですと?」

「愛が力になる。
キミが誰かを愛すれば、キミもその相手も、満たされる。
罪を犯した者、貴方を憎んでいる者、親しい者、会ったことの無い誰か、
そして自分自身、
全てを許し、全てを愛し、
全てを理解した時、全ては新しく生まれ変わる。」

「フッ……
賢人殿の欺瞞に満ちた言葉は私にはさっぱり……」

「ヌヌザック、君はこの世界に正しき者よりも愚かな者の方がたくさんいると思い込んでる。
キミは何かが起きたとき、愚かな者と争うつもりでいる。
君は胸の中で、負のイメージと争いながら、それを世界だと信じている。
だが、女神がつくりたもうた命に愚かな者はない。
それを信じるだけでいい。
君のイメージが力になる。
君の言葉が世界になる。
信じるだけでいい。」

「現実は夢ではありません。
そのようなことは叶いません。
マナの木が甦れば、不死皇帝や炎帝ロンウェイのような輩が
現れるのは目に見えています。
そうなれば、私は学生たちに、本当の召喚術を教えなければなりません。
それこそ世は闇です。」

「それは過去のことさ。
力で奪う時代はもう終わった。
ヌヌザック、人の愚かさばかりを見る、キミの生き様に
光明はあったかい?
マナの女神の与えた世界が、
苦痛に満ちているだけなら、
それは誰のための世界なのだ?」

「愚かは他人事ではありませぬ。
愚かなるは、人と言う種族そのもの。」

「ならばそれでいい。
君の判断に従おう。」

「待って下され!!ポキール殿!!
私は弱い人間です。愚かな私の判断に委ねずと、
その手でひねりあげてくだされ。
我ら弱き者を導いて下され。
賢人殿の神のごとき力をお示しくだされ!」

「君に全てをまかせる。
しいて言うならば、それがボクの力だ。
キミが、世界を目茶苦茶に
破壊し尽したとしても
かまわない。
それでも、ボクはキミを祝福する。」

自分なりに解釈を試みた。まず召喚士ヌヌザックはマナによって傷ついた経験がある人間である。そしてポキールは広い視野で物事を捉えることが出来る賢人の一人である。ポキールは”マナ”の木の復活を望んでいる、しかしヌヌザックはマナの木の復活を望まない。なぜなら”マナ”によって傷ついた経験があるから、そしてまたマナで傷つくのが怖いから。ヌヌザックは傷ついた家庭で、求めないことが平穏につながるという答えに達した。だからヌヌザックはマナの木の復活を拒んだ。ヌヌザックは”マナ”を単純に力だと思っている。現代社会で言うと”お金”や”権力”なのかもしれない。だけども、詩人ポキールは違う解釈をしている。ポキール曰く”マナ”というのは”無限の力の源”のことだという。本当に難しいのだけれども、それは目には見えない何か大きなものであって、時には”人生”という名前だったり、”希望”という名前だったり、”お金”、”愛”、”夢”、”命”、”神”だとか、人が何かに向かって今日を精一杯生きて明日を迎える上でのその人の原動力になりうるものの総称なんだと思う。それがポキールの言うマナだ。ヌヌザックは”マナ”(≒”力”)の復活によってまた悲劇が繰り返されると言うが、それをポキールは過去の話だいう。加えて、過去の話は終わったとも言う。ポキールは問う、「ヌヌザック、人の愚かさばかりを見る、キミの生き様に光明はあったかい?マナの女神の与えた世界が、苦痛に満ちているだけなら、それは誰のための世界なのだ?」。ヌヌザックは直接的に回答せず、人間は愚かなものであると回答する。詩人ポキールはその回答を受け止めてヌヌザックに判断をゆだねる。しかしヌヌザックは”答え”を求める。愚かな人間としてどうしたらよいのかと”答え”を求める。だけどもポキールは”答え”を当事者本人に委ねる。まかせる。周りに認められていないことをしようとしたとしても、”祝福する”と言い残す。。。このワンシーン、特に召喚士ヌヌザックの姿がいつぞやの俺の姿に非常に重なる。「人は汚いものだ。お金は汚いものだ。欲があるからいけないんだ。何も求めてはいけないんだ。自分から変わるのなんて可笑しな話だ。変わらなくても良いんだ。相手からまずは動くべきだ。本当は、基本的に、一般的に、社会は、、、、、、、、」といつも人に期待してばかりだった。人の汚いものに焦点を当ててばかりだった自分を思い出させる。そうじゃなくて、”マナ”(≒とりあえず希望とする)をつかむには、前に進むしかない。自分のこれからが希望に満ち満ちていることを信じなくてはいけない。自分の暗い過去にばかり焦点を当てても決して明るい未来などやってはこないのだ。なぜか?と問いたい気持ちも分かるが、そうでなければ俺の人生はとっくの昔に明るいものになっていたからだ。これは科学的根拠ではなく、宗教的なものではなく、もう”そういうもの”なのだとするしかないと思う。だから基本的には他人のなすことは受け止めていくしかないのだ。なぜならば、それは俺の人生の出来事ではないからだ。結局、彼らが幸せになろうとも不幸になろうとも、彼らがマナを望んで取った行動であり、結果なのである。幸いなことに、俺は偶然にも29歳という若さでマナが物凄く身近なところにあることに気付くことが出来たと思う。”マナ”の木は俺の中に小さな新芽程度だがある気もしている。新芽が大きくなるかならないかは、これからの経験によると思う。

「マナの女神は光。光そのものである、
マナの女神は自分の姿を見れなかった。
自分の姿を見るために、光の一部は影となり、
その陰影で女神は自分の姿を知った。

そこから創造が始まった。

女神のイメージだけで、
この宇宙の全てが生み出された。

宇宙の全ては、もとをたどれば
光から出来ている。
全ては一つにつながっている。

ただ、自分の姿を知りたいと欲した、
その気持ちだけが影となり、我々を隔てた。

つまるところキミは、
闇を憎まなくていい。

それだけわかればいい

キミの言葉は力だ。
女神は力でキミに語りかけるだろう。
その言葉を受け止められるなら、
ここを登るがいい。」

これは”マナ”の木に登る一歩手前で詩人ポキールがゲームの主人公に語る言葉だ。”マナ”とか”女神”とか、大いなる言葉を表現する言葉についての考察はこの際置いておいて、要は”ナニカ”をつかむには”光”だけでなく”影”の存在を認めざるを得ないということだ。俺の好きな nobodyknows+ の 「Sweet Soul Music」のワンフレーズと重なる。「経験が僕を強くする 経験が僕を臆病にする 光を描くにはまず影を描く 踏まえた上で何を照らす?」。このフレーズと詩人ポキールの話は繋がる。なんせ”ナニカ”を、”マナ”をつかむには前に踏み出す勇気が必要だ。その勇気を持つには自分が経験した”闇”が自分を臆病にする。それでも、ひょっとしたらそれさえもこれから手に入れる自分の中の栄光のようなものにとっては、それを彩る陰であって、受け止めるべき”自分の力”なのかもしれない。深く暗い、くらい、闇を経験し、そこにいつまでも執着し、その闇を恨み、沈むのか。それともそれを自分の”大いなるナニカ”を象る陰、つまるは自分の糧にするか、、、それは本当に俺次第だ。そしてその人次第だ。と思う。

↑↑↑ゲーム内の会話のやり取りをノートに書き出した様子。

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