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百志(モモシ)

地球と「共生」していくという考え方。養老孟子の『「自分」の壁』を読んで。

この記事では、養老孟司の『「自分」の壁』を読んで学んだ、「私の体は私だけのものではない」という考え方、そしてそれに紐付くエネルギー問題についての考察を紹介したり批評したりしています。

ポイント

・生き物は基本的に「共生」し合うことで存在が成立している!

・どうやって他者と「共生」していくか、どうやって社会に貢献していけるかを考えてみよう!

・地球さえも「自分」の一部であると考えたとき、現代のエネルギー問題にどう立ち向かえるか!?

生物学的なお話

養老孟司は「自分」について語る前に生物学的な面白い話題を出します。

人体は約60兆の細胞からなっている、とされている。細胞の中には核があって、その中には遺伝子もある。養老孟司が気になったのはその細胞の中に別の変なものが入っているという点。それがミトコンドリア。

ミトコンドリアを調べると、細胞本体とは別に、自前の遺伝子を持っていることが分かった。人間の体の一部にもかかわらず人間の遺伝子とは異なる遺伝子を持っているのだ。この事実について養老孟司はある学者の仮説を説明する。

リン・マーギュラスというアメリカの女性生物学者は、次のような仮説を立てました。「自前の遺伝子を持つものは、全部、外部から生物の体内に住み着いた生物である」ミトコンドリアは外部からやってきて人体に住み着いたものだ、というのです。

※引用『「自分」の壁』、養老孟子(著)、株式会社新潮社

生き物は常に共生している

養老孟司は他にも、蝶々の変態の話やシロアリとアメーバの話等々の説明をしています。

ここで彼が述べたかったのは、生き物は皆、「共生」しているということです。先の人間についての話をすれば、人間の中には数多のミトコンドリアが潜んでいて、ウィルスや細菌だって大量に存在している。「生態系」という言葉があるが、それは地球上のあらゆる生物が、いろいろな形で依存しあってることを意味している。生物は「自分」が先に立つようなシンプルなものでもないらしい。

日本人として生まれて育ったのであれば、この話はすんなり受け入れられるものだと思う。かく言う俺も、「あー、なるほどなぁー」と純粋に納得した。

アメリカ的な思考がどんどん日本に入ってきた現在、個人主義を掲げて自分勝手に生きている人が増えてきてると思う。だがしかし、人間は他の人間と共生しあっていかなければ生きていけないという性質を変わらず持っている。牛を殺して肉を食べ、大地を耕し米を食う。そんな他者の命を喰らって生き延びているのが人間である。

他人の評価に縛られず自分のやりたいことをやる個人主義の良さを取り入れつつも、自分が共生している存在であることを理解する。そして社会にどう貢献できるのかを考えるべきだと考えさせられる。

原発も私たちも世界の一部

自然と人間、自分自身がつながっていると言う話は、それなりに受け入れられるかもしれません。しかし、もう少し話を広げて「世界全体とつながっている」と言ったらどうでしょうか。世界全体と言うからには、社会や人工物が含まれます。高層ビルもダムも原発も、そこにある以上は「世界」の一部です。

※引用『「自分」の壁』、養老孟子(著)、株式会社新潮社

この考え方は少しだけ耳が痛い。というのも俺は、物心ついた頃からニュースを毛嫌いしていたし、ニュースで何か暗い出来事が報道されているのを見ては、「あぁー、嫌だなぁ」と目をそらし心のどこかで自分には関係無いものと思っていた。

彼の考え方からすると、原発なんかも世界の一部であり、私とつながっている。彼曰く、みんなが俺は知らない。関係ない」と乱暴に切り捨てる事はできない。

実際、考えてみたら当たり前のことだ。今の世の中電気を消費していない日本人なんて存在しない。大なり小なり原子力発電所から供給されている電気を皆消費しているのだ。目の前にそれが無いためイメージをしづらいのはわかるが、もう少し自分が利用している社会の仕組みのようなものについて理解や関心を持つようにした方が良いのかもしれない。

私たちに必要なエネルギーの量

エネルギーについてまじめに考えるつもりならば、人にはどれくらいエネルギーが必要か、という根本の問題から考えないといけません。今は日本人一人あたり自分の作るエネルギーの40倍を使ってるとされています。現代の日本人は40人を雇っているのと同じ状態で、日々暮らしている。それはいくら何でも使いすぎだと思うのがふつうじゃないでしょうか。

※引用『「自分」の壁』、養老孟子(著)、株式会社新潮社

まったくだ。使いすぎである。ことさら俺のように「人間は猿のように原始的に生きた方が幸せだ」と考えている人は全員養老孟司の意見に賛成だろう。

また、どうやらエネルギー消費が高いからといって国民の幸福度が高いわけではないらしい。日本人よりもエネルギーを使っているアメリカ人が幸福かどうかとなると、そうでもないらしい。はっきり言ってしまえば、2019年版の世界幸福度ランキングによると、最上位にはフィンランド、デンマーク、ノルウェーなどの北欧諸国が並ぶ。エネルギー消費の量と国民の幸福度の量が比例しないのは明確なのだ。

世界幸福度ランキングについては、『「世界幸福度ランキング」2019年版が発表。日本の順位はどうなった? | ハフポスト』を参考にした。

私たちは本当に成長が必要なのか

日本の過剰なエネルギー消費について、養老孟司はこうも述べています。

あらゆる人が「経済成長が必要だ」と説きます。新聞、テレビ等で見る論調のほとんどはそうです。その前提には「経済成長は良いことで、庶民にとってもプラスになる」という考えがあります。しかし、その前提がどこまで正しいのかについては、ほとんど考慮されていません。

※引用『「自分」の壁』、養老孟子(著)、株式会社新潮社

少し話が脱線するが、以前、YouTubeで勝間和代と西村博之の議論を見た。(有名なやつなので、まだYouTube上にあるはず)

勝間は「人は経済成長を目指すべきだ」と主張し、ひろゆきは「そんなの本人の自由じゃないですか〜」と受け流していたと思う。議論は勝間の失礼な発言で場が荒れ、勝間が大きく叩かれるという流れに終わり、後にひろゆきは勝間について、「洗脳されやすい人」と評していた。

日本に三大義務はあるものの、経済成長すべきだなんて義務はないし、それを目指すかどうかは個人の自由である。「そんなの本人の自由じゃないですか〜」で何ら問題無い。

日本にいるとよくわからないメタメッセージを多く受け取る。「友達が多いことが素晴らしい」とか、「向上心がある人は格好良い」とか、そういうやつだ。「経済成長は良いことで、庶民にとってもプラスになる」という価値観もある種のメタメッセージであり、明治大正昭和平成と経済成長を目指して誰かが大衆を洗脳していたのかもしれない。

本当に考えるべきは

このまま経済成長をいたずらに目指し続ければいずれはエネルギー源は枯渇する。なぜなら経済成長とは、エネルギー消費を前提としているからだ。

明らかにエネルギーは不足していく。そこで私たちは何を考えていくべきか、養老孟司はそれについて「どの程度までのエネルギー消費ならば、みんなが我慢できるのか」を考えるべきだと述べている。

突然だが、ここまでこの記事を書いていてふと思った。最近では他の惑星への移住計画だったり、数百年後の地球の消滅説なんて当たり前に聞く。こんなに綺麗で素敵な惑星を自分たちの都合だけでやりたい放題した挙句、食い尽くせるだけ食い尽くしたらお払い箱。養老孟司の話を聞いていると、「あれ、ここ最近の俺たち人類ってとんでもなく自分勝手なんじゃないか」という気持ちになった。

養老孟司が一番言いたいことは、そろそろ私たちは地球と折り合いをつける時なのでは、ということなのだ。みんなが納得できるちょうど良いエネルギー消費量を模索しても良い。地球のごく一部分を研究開発用の地域にして、あとは居住区域として一定のエネルギー消費までしか許さないという取り決めを作っても良いと思う。

これからの100年200年、地球規模で「自分」のために何が出来るのかという意識を持って社会を動かすことが必要なのかもしれない。

参考文献・参考Webサイト

【参考文献】
・『「自分」の壁』、
養老孟子(著)、
株式会社新潮社(出版)

【参考webサイト】
・「世界幸福度ランキング」2019年版が発表。日本の順位はどうなった? | ハフポスト
https://www.google.co.jp/amp/s/m.huffingtonpost.jp/amp/entry/world-happiness-ranking-2019_jp_5c906a19e4b071a25a85e44c/
20190801アクセス
・メタメッセージ - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/メタメッセージ
20190801アクセス

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