百のやりたいことを達成していくブログ

百志(モモシ)

【自論】ADHDなんてものはまやかしです。そんな単語覚える前に英単語の一つでも覚えましょう。

『わたし、ADHDガール。恋と仕事で困ってます。』(司馬理英子、東洋館出版社)という本を読んだんですが、それについて勉強したこととか人様に訴えたいことがあるので、ちょっと聞いてって欲しいと思います。

話は以下を軸として進めていきたいと思います。
ADHDって病気じゃないんだ。
ADHDとかさ、アスペルガーとかさ、ほんとそういう言葉って良くないなあと思う。
全く精神科医って生き物はよー。本当に鼻持ちならねぇよ。

どうぞよろしくお願いしたいと思います。

ADHDって病気じゃないんだ。

『わたし、ADHDガール。恋と仕事で困ってます。』にはこう書いてあるんですよ。
「ADHDは Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder(注意欠如・多動症)の略で発達障害の一つとして知られています。発達障害というのは、分かりやすく言うと発達の凸凹。脳機能の発達のアンバランスのために、社会生活や対人関係に困難さを感じる状態を指します。」って。
『わたし、ADHDガール。恋と仕事で困ってます。』(司馬理英子、東洋館出版社)のp20p21より引用

「発達の凸凹 → 脳のクセ」みたいな理解で良いと思うんですよ。

癖。「この人は○○しやすいです」みたいな言い回しが出来るやつ。

それで、この本を読んで勉強になったなあと思うことが、「ADHDは病気じゃない」ってこと。

我々日本人って、”それらしいもの”をいたずらに大きくする傾向があるじゃないですか

「グッチ、エルメス。」→「なんか知らないけどハイブランドでカッコイイ。」
「彼は大企業に入社した。」→「ほほう、きっとかなりやり手で凄く有能な人材なのだろう。」みたいな。

なんか今、無理やり例題を出したんですけど、ここから言えることって、"それをちゃんと見ていない"ってことだと思うですよ。

グッチのカバンなんか、あんなん鎖状の模様があるだけですからね。じゃあ「鎖上の模様がある」→「カッコイイ」となるわけないじゃないですか。

大企業に入社した人が有能であるとも限らないじゃないですか。誰かからしたら、「大企業に入るということは多かれ少なかれ個性を殺すことになる。それを選んでいる時点でその人は有能ではない」みたいな判断も出来るわけじゃないですか。

ほんと、"それをちゃんと見ていない"んですよ。とある”グッチのカバン”を。とある”22歳大学4年生の青年”を。

それでね、僕もちゃんと見えてなかったわけですよ。現代社会でいたずらに増やされる精神病の数々を。そして僕自身も。

どっかの誰かが、「ADHDって精神病なんですよ」とかいたずらに言いふらしている。それで昔の僕みたいな自分の力で物事を判断できない人つて思っちゃうんですよ。

「ああ、ADHDって病気なんだあ」って。
「ああ、僕は/私は病気なんだあ」って。

特にこの話に落ちをつけるつもりはないんですが、何度も言いますが、
ADHDは病気じゃありません。
ちょっとしたクセでした。

もしも「私、ADHDかも。」と自分に疑念を持っている方は、そんなことを気にしていないで、明日の仕事のスケジュールとか趣味のことを考えて欲しいなあと思います。

ADHDとかさ、アスペルガーとかさ、ほんとそういう言葉って良くないなあと思う。

まあそのまんまなんですけど、ADHDとか、アスペルガーとか、ほんと、そういう言葉って良くないなぁと思います。

もう少し言うと、そういった、誰かを「○○である」と断定づけるような言葉って、本当に良くないと思うんですよね。

その、人って言葉に責任を持つ傾向があるじゃないですか。

これは脳科学的にも証明されつつあることであり、また日本には古来より言霊という表現があるじゃないですか。

言葉には”力”があるんですよ。

だからさ、ほんとこれ以上、人をネガティブなものとして断定づけるような言葉、増やさない方が良いと思うんですよ。

言葉を喰らった人は、その言葉の意味に自分の人生を合わせてしまうから。

それが今、大情報社会でしょ。
それに加えてみんな、ネットリテラシーなんか皆無でしょ。

YouTubeなんかのコメント欄見てみてくださいよ。心無い人が、
「こいつアスペや、こわw草」
「ほんとADHDだから落ち着きねえなあ」
とか発言しているじゃないですか。

おいおいみんな、やめろって、そんな言葉使うの。

そしてADHDとかアスペルガーとかいう言葉を世に浸透させたメディアも、言葉の意味を十分理解せずに使用する始末。

使った言葉を間違って使っていた、世に発信した情報が社会に悪影響を与えたとして、いざ責任を問われると、「受け取った情報をどう取り扱うかは、受け取り手の責任である」とか言って責任放棄するじゃないですか。

なんかこんなことを大物ブロガーが言っているところをこの前見かけましたよ。この前。

そりゃあそうなんだけど、情報発信するにしても、新商品を世に出すにしても、市場に出す以上は、社会に出す以上は、自分の責任で背負える範囲にしておけって話ですよ。

少し話が脱線しちゃったんですが、とにかく、”イタズラに”言葉を増やさないで欲しいと思います。

そして、もしも言葉を増やすならば、ちゃんと必要に合わせて増やす。増やしたのならば正しい意味を人に伝える。正しい使い方を人に教える。そういう意識を持って欲しいなぁと思います。

全く精神科医って生き物はよー。本当に鼻持ちならねえよ。

例えば、本の中に、こんな表現があります。
「定型発達の人の場合は、たとえ新しいタスクに先に手を付けたとしても、元々取り掛かっていたタスクを思い出して、また掃除に戻るもの。」
『わたし、ADHDガール。恋と仕事で困ってます。』(司馬理英子、東洋館出版社)のp42より引用

これは、ADHDなどの非定型発達の人は、記憶の一時記憶量が小さいために、掃除の途中で他のタスクが発生すると掃除を忘れる、
ということを強調する文です。ですが、思うに。

そんなもん誰にだってあるって。
じゃあ何、掃除していて電話がかかってきて電話出て楽しく会話してそのあと掃除のこと忘れて買い物行っちゃったおばさんはみんなADHDなの。

みたいに思っちゃいます。

そんな「”フツウ”の人は、こう、”フツウ”じゃない人は、こう」みたいな言い方するんじゃねえって。とか思います。

なんか精神科医の話を聞いていると、不必要に人を断定づけるような言い方をする人が多いように感じます。
そうやって医者が人を他の人とは違うものとして断定づけていく様を見て、俺は、
貴様らは神なのか。どうしてお前が人なのに人をいろいろ判断づけることが出来るのか。」と苛立ちと疑念を抱いてしまいます。

大事なことって、「人間一人一人が違う。けれども一人一人は人間である」ということだと思います。

誰かは意地が悪くて、
誰かは優しくて、
誰かは腕が無くて、
誰かは目が見えなくて。

それでもみんな人間だろ。
それで良くねえか。って思います。

社会を構築する上での便宜上で言葉が必要だから、人の特徴を形容する用語が必要なのは分かります。

それでも、”特徴”で良いじゃねえか。って思います。
「特徴A:失明」
「特徴B:手足が無い」
「特徴C:おっちょこちょい」
もうこれで十分です。

それをどうして発達”障害”などと言ってしまうのかが分からなぇ。精神”疾患”だとか、精神”病”だとかって表現をいたずらに作るのかが分からねぇ。

そういうことも踏まえて、そして俺の経験を踏まえてなんだが、
精神科医の中で、人間を長期的な観点で良い方向に導こうと考えている人は本当に少ないと思う。
精神科医の中で、社会全体を根本からより良くしていこうと考えている人は本当に少ないと思う。

とりわけ日本では。

俺は大抵の精神科医ってやつが、きらいだ。

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